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うちのキーボード

ウチには、PSR-500というヤマハのポータブルキーボードがある。
モノを大事にしない(!)自分にとって、
珍しく大事に扱っているもののひとつである。

高校に上がった時に、親に買ってもらったものだ。
十数年前に買ったもののだが、今の鍵盤に変える3年前まで、現役で使っていた。
5年前に鍵盤が壊れて音が鳴らなくなったことがあったのだが
それでも修理に出してなおして使っていた。


せっかくこんな話題を取り上げたので
はじめてキーボードを買った頃の話を書いてみようと思う。
実はPSR-500を買う前に、もう一台キーボードを持っていたのである。


中学生の頃、近所のねえちゃんが持っていたキーボードを触ったことがあり
それまでピアノしか触ったことのなかった自分は、激しく憧れた。
何か自分の知らん音がいっぱい出るし
和音押さえたら自動的に伴奏つくってくれるし
なんじゃこりゃー、という思いでいっぱいだった。
さっそく買いたいと思ったのだが
値段が5万円。中学生にしてはいささか高い買い物である。
そこで親に交渉することにした。
とりあえず拝み倒してみる。
しかし「あほか」の一言で一蹴。
次に試みたのは
「テストでいい点取るから。」
するとウチの親は
「そしたら3教科で100点取ったら、考えよう」というむちゃくちゃな条件を出してきた。
確かそんな条件だった。
モノで釣るとは、なかなかやらしい親である。いまさらだが。
しかし、当時の自分はこの言葉に激しく反応し
そしたら、と一念発起したのだが
結果英語と社会で100点を二つ出したにとどまったのであった。
数学が確かあと2問かそこらで100点だったような覚えが。
いや、今考えてみたらそれだけでもすごい、と思う。
が、当時の自分はかなり落ち込んだのであった。

結果は条件に届かなかったのだが
さすがに親も驚いたらしく
残りは次のテストで、ということで
なんと買ってもらえることになったのだ。
しかし、5万円のモデルは高すぎる、ということで
3万9千円のモデルに値切られることとなった。
YAMAHAのPSS-390。
ミニ鍵盤で、今見たらオモチャのような感じだが
音色もリズムも100づつあり、
オマケにデジタルシンセサイザーもついているお得なモデルだった。
買ってもらってからは勉強そっちのけで使い方を学んだ。
コードネームをおぼえて自動伴奏機能を使いこなし
そこら中の楽譜をあさってはコードネームをつけて
演奏するようになった。
即興演奏の、まさに「夜明け前」である。おおげさか。
キーボードでおぼえたコードネームで
ピアノを使って即興演奏やら弾き歌いもやり始めた。

既成の曲の演奏に飽きてきて
それなら自分で曲を作ってみた方がおもろいんとちがうか?と思い
曲を作り出したのもこの頃である。

ところが、このキーボードを使っていろいろやっているウチに
だんだんとこの機能だけでは物足りなくなってきた。
音も貧弱だし、録音機能もないし
せっかくキーボード使うなら
もっといろんなことをやってみたいと思うようになった。
さらに欲求が増すわけである。
ちょうど中3の頃。

時を同じくして
コルグが「M1」というシンセをリリースしたというニュースを知る。
漫才ちゃいますよ。シンセサイザー。
世界中で大ヒットした、伝説のシンセ。
今でも内蔵の音色がいろんな曲に使われている。
たしか「大事MANブラザーズバンド」の
キーボードのねーちゃんが使っていたのをみて、「あの音いいなー」と思ったのだ。
あのころ、いわゆる「オールインワンシンセ」がぼこぼこ出ていた。
オールインワンシンセとは、いわゆるシーケンサーが付いたモデルで
音をつくったり出したりするだけでなく、リズムやメロディを打ち込んで
その場でアンサンブルを再現できるタイプのシンセ。
オーケストラもバンドも自由自在にサウンドをつくれる!といった感じか。

当時TMとか小室好きの連中は、YAMAHAのEOSが欲しい!って絶叫してたし
ローランドもD-50(だったっけ、うろ覚え)というシンセを出していた。

ぼくもそんな話を聞き、「絶対欲しいなー」と思って
楽器屋さんでカタログをもらいに行って驚愕した。


20万円(税別)。



中学生の財布ではさすがに手が出せない。

その時行った楽器屋さんで
たまたまついでにとっていた
YAMAHAのポータブルキーボードの新モデルのカタログがあったので
それを見た。
6万9千円で、M1には劣るが結構いい音が出て
トラックも少ないがシーケンサーも付いているモデルをみつけた。
これだ!と、早速親に交渉した。
「高校の進学祝いもいらんから!」ともらえるかわからないようなお金もあてにしつつ
高校受験に合格したら、という約束で契約をとりつけた。

それからというもの・・・

受験勉強のあいまに
寝る前に
朝起きたときに
おやつを食べながら
そのカタログを飽きもせず見つづけた。
そして「これを買ったら、あの曲を演奏して、あの曲をアレンジして・・・」などと
妄想にふけっていた。
いや、ホンマの話である。


そんなこともあって、
高校に合格し、このキーボードを買いに行ったときのことは今でも鮮明に覚えている。
心斎橋の大丸へ買いに行き、父のクルマのトランクに積んで
ワクワクしながら家に持って帰ったことを思い出す。

それから、このキーボードでたくさんの音楽をつくった。
ピアノの曲集の譜面を使ってフルバンドやミニアンサンブル用にアレンジしたり
聴いたCDの耳コピをしたり
またあるときは日本国憲法の前文をおぼえるために
前文にメロディをつけてこのキーボードでユーロビートっぽく演奏させて
覚えようとしたこともあった。(が、曲ができた時点でテストの前日だった。アホ)
HPにもアップしている「springbreeze」という曲や
吹奏楽でやった「マンボメドレー」のアレンジもこのキーボードから生まれた。
限られた機能をいかに活かすか、ということをつねに考えて使っていた。
おかげでアレンジの要領やポイント、泣き所を、
楽しみながらたくさん吸収することができた。
これは今思えばすごく勉強になっていたんだと思う。


おとなになって、MACで音楽を作り始めてからは
入力用のキーボードとしてその役割を果たしていた。
そんなこのキーボードも、ウチに新しいエレピのP-200が来てからは
段ボールにしまわれて、実家の奥深くで
いつさめるかもわからない眠りにつくこととなったのであった。

そして昨日、ほこりにまみれながら実家の奥から
数年ぶりにその箱を開けた。
なぜか。
再び使うときが来たからである。
とあるバンドでキーボードのメンバーに助っ人で入ることになったのである。
P-200では移動手段が辛いので
手軽に持ち運べるこのキーボードが浮上したのである。
まさかもう使うことはないだろう、と思いながらしまったのだが
こんな形でまた使うことになるとは夢にも思わなかった。

ひさしぶりに音を鳴らしてみた。
あの頃のままである。
ある意味当たり前か、電子楽器やし。
いや、それでもけっこう感慨深くなったりしたのさ。
一時期は、いっそ誰かにあげようかなとさえ思ったのだが
それもなんだかなあ、と思ってずっと置いていたのだが
結果良かった、かも。


もう一度使うのかあ、とか考えながら
この先、このキーボードどうしようかなあ、と思い出したように考えていた。
ふと、万が一自分に子どもが生まれたら
このキーボードを引き継ぐことにしよう、となんとなく決めた。


万が一生まれてくるかもしれない子どもよ、よろこべ。
こんなにイイキーボードをアンタは小さな頃から使えるのだぞ。
うらやましいったらありゃしない。
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by satton07 | 2004-09-30 02:07 | Comments(0)

日曜の楽しみが

結局、淳子の父で院長の原田芳雄の指示だったのか。
なんか事件の真相について含みを残すような終わり方だったので
ちょっとすっきりしない感じもちらほら。

極楽とんぼの加藤の最期もけっこうあっけなかったし。

もう30分くらいやってくれた方がもう少しすっきりしたんだけどなー。

しかし、水野美紀を見る機会がなくなるのはなんとなしせつない。
今後の水野美紀情報知ってたら誰か教えてくらはい。


ところでこの番組のあと
以前収録に来た浜村淳のやつがOAされてたので見てみた。
自分てこんな感じなのね。
てゆーか、ハダ荒れ過ぎ。
ちなみにテロップで名前が出たんだが
みごとに間違えられていた。
OA前に確認の電話がかかってきて
確かめてたはずなんだが。

いい加減改名した方がいいのかしら、と若干弱気になった。
てゆーか力抜けてもた。のであった。
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by satton07 | 2004-09-27 00:12 | Diary | Comments(0)

9月25日(土)

今日は昼から自閉症児のリトミックのボランティアに行き
その足で梅田へ。月一回のピアノレッスンの日なのである。

ボランティアはかれこれ3ヶ月ほど前から通っている。
自閉的傾向のある5歳児、6歳児とその保護者のグループを対象に
月一回、リトミックをしにいっている。
ところでリトミックって何やねん、てな感じだが
エミール・ジャック・ダルクローズという音楽教育学者が考えた
動きと音楽を融合させた教育のスタイル、なのであーる。

もともとリトミックは「音楽教育」の方法のひとつとして開発されたんだが
リトミックの持つ「動きと音楽を関係づける」特性を拡張して
現在は、幼児教育や演劇、舞踏、障害児教育、
さらには療育活動などにも応用されてるんです。

で、具体的に僕らがどんなことをやってるのか、というと
音楽療法の考え方や方法を取り入れた教育活動。
音楽療法のもつ「症状改善・療法」的な側面と
音楽教育のもつ「音楽に親しむ・可能性を引き出す」側面を
合わせたような感じ、か。
専門書ではこれを「療法的音楽活動」というらしい。

毎回、10人ほどのグループに3〜4人のボランティアメンバーで参加している。
内容は、歌を歌ったり音楽に合わせて動いたり楽器を鳴らしたりする。
コトバで書くとなーんだ、という感じだが。
しかし、これがなかなかどうして、奥深い、らしい。

音楽にあわせて「静」と「動」をカラダで体験したり
楽しく歌をうたったりすることで
自閉症の子どももだんだんと集中力を身につけていく、らしい。

最初は音楽が鳴ってもまったく興味を持たず別のことをしていた子どもが
音楽が鳴ると歌を歌う、という空気を察することができるようになる、らしい。

「らしい」ばかりだが。
まだそれを体感したわけではないのでこういう書き方なんだが。

でも確かに、回を追う毎に、子どもたちは確実に少しづつ変わってきている。
場のムードも和らいできて、ココロを開き始めた子もいるようで
どんどん声が出始めた。
子どももそうだけど、親の顔も和んでいるように思う。
親にとっても「癒しの場」になっているんだろーなあ、と。
いまはそれくらいの変化と、「今日はあの子がおとなしいなあ」ぐらいしか
読みとれないんだがねえ。


しかし、いろんな子どもがおっておもしろい。

内気でなかなかココロを開いてくれない子もいれば
「せんせぇせんせぇ(別にせんせえでもないんだが)」と、
無邪気に寄ってきて踊る子もおれば
「○○くん、歌おーよぉ」と声をかけても
どこ吹く風とばかりにその日気に入った楽器をひたすら鳴らしていたりする子もおる。

それぞれが、それぞれのペースでやっている。
だからといってそれを強制するわけでもなく
そういうところがなかなかおもしろい。
子どもたちが「自発的にわかったり、行動できる」ように
ボランティアはアタマを働かせるのだ。
むずかしーよぉぉ。


*****************************************


そんなセッションの後、ピアノのレッスンへダッシュ。
ダッシュしすぎて20分くらい前に着いた。

この1ヶ月、あんまり練習してなかったので
こっちはせんせぇごめんなさいって感じであった。
いま練習してるのはツェルニーの40番。
ピアノやってる人は知ってるよね。練習曲集。
あたくしは高校時代、この練習曲をこれでもかというくらい忌避していたので
いまになって苦労している。
そういうわけで、課題曲のモーツァルトのソナタも苦労している。
てゆーか練習不足。
練習方法にアタマ使えよ、と自分にツッこむ。

宿題をごっそりもらって
先生と同じ門下の兄さんと茶をしばき
その後やはり同じ門下の学生さんのレッスンを見学して
東通り商店街のレトロなお好み焼き屋でめし食って帰った。


アッとゆー間の土曜。。。
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by satton07 | 2004-09-26 02:59 | Diary | Comments(0)

続・テレビ

以前の日記に浜村淳がどうとか書いたが
その時のようすがインターネットに載ったらしい。

とりあえず、ここに載ってます。
自分の職場です。
しっかり自分も映ってた。

後日談。
ハマムラさん、この取材でうちを気に入ってくれたのかどうかわからないが
次の日のラジオでウチの施設を紹介してくれた。
紹介まではよかったのだが
なんとウチではやってないようなことも丁寧に紹介してくれた。

ハマムラさん。
ウチの施設は職業斡旋とか
河内家菊水丸さんのスケジュール把握とかはやってません。


わかる人にしかわからんネタですんません。


とりあえず、自分の職場がテレビで紹介されるので
興味のあるお友達はぜひ。
日曜日、江口洋介の無実と真の黒幕の正体を確かめた後は
チャンネルは8、関テレで。
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by satton07 | 2004-09-25 02:01 | Diary | Comments(1)

逃亡者2

極楽とんぼの加藤と別所哲也はやはりグルだったんですね。


あー、来週最終回。

水野美紀もあと1回。
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by satton07 | 2004-09-20 01:11 | Diary | Comments(0)

#007 矢野顕子「峠のわが家」

b0024020_28391.gif槇原敬之を聴くなら、この一枚は絶対はずせない。
おそらく彼自身は、このアルバムに対して
かなりのリスペクトを持つととともに
彼自身の音楽に多大な影響を与えたと思われる。

そんなこのアルバムは矢野顕子のまさに代表作。らしい。



槇原敬之がつくった唯一のカバーアルバム「Listen to the music」。
このアルバムの中で、「David」「海と少年」の2曲をカバーしている。
ちなみに「海と少年」は正式には大貫妙子のカバーだが
アルバムが出た年からして
きっとマッキーはこちらのアルバムを先に聴いていたように思われる。
ところで「峠のわが家」ではオフコースの「夏の終わり」をカバーしている。
ちなみにマッキーは同じアルバムで、やはりオフコースの「秋の気配」をカバー。
アルバムをつくるときに、彼はきっと
矢野顕子のこのアルバムをかなり意識していたに違いないぞ!って思うんだが。
どうなんですか槇原さん?

偶然かどうか知らないが
15年以上も後に、彼は「Home sweet home」というアルバムをつくる。
ホント、そのまんまやん〜。
このアルバムも、ホントおすすめなアルバムなんですけどー。
それはまた別の機会に触れるとしよう。


音楽のほうも、かなり影響を受けてるのかなーという箇所が見受けられる。
あれ?これ、なんかマッキーぽいリフだなー、とか
あれ?これ、なんかマッキーぽい展開だなー、とか
いろいろ見つけられます。
槇原敬之ファンなら、ぜひ聴いて損はなし。

いや、でもホントマッキーが影響を受けるくらいに
イイできばえのアルバムだと思う。
どの曲にもムダがまったくないし、
マニアックさとポップさが表裏一体になっている感じ。
何回聴いても飽きないぞ。これは。
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by satton07 | 2004-09-20 01:02 | ウチのCD棚 | Comments(0)

まとめ買い

しごとが休みだったので
久しぶりに難波のタワーへCDをあさりに出かけた。

前から欲しかったのを買ったり
なんとなくジャケ買いしたりで
1万3千円ほど消費。
久しぶりかも。いっきにこれだけ買ったのって。
そのうち紹介できたらするけども
あ、その中のⅠ枚。
松本俊明の「Pianoia」はこれから「買い」かもよ。

めざましテレビで紹介されてたらしい。
大衆受けしそうな癒し系。
ちなみにこの人は、MISIAの「Everything」「忘れない日々」などの作曲者。
何年か前の印税分配収入ナンバー1、だとか。

自分的には
その後一緒に買ったフェビアン・レザ・パネを聴いて
そのピアノワールドが、ココロの琴線に大きく触れてしまったため
印象がちょっと薄れてしまったのが残念だが。

で、後から「Pianoia」のジャケットのクレジット見てたら
弦アレンジがパネさんだった。
こんなところにも。
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by satton07 | 2004-09-18 00:21 | Diary | Comments(0)

#006 川村結花「around the PIANO」

b0024020_285871.jpg初めはこの人も、「名前だけ知ってるミュージシャン」のひとりだった。
偶然CDショップで目に飛び込んできたので、なんとなく思いついて
買ってみたら、金鉱を掘り当ててしまった。

「あ、自分ってピアノ好きだったよなぁ」と
自分をピアノの前に引き戻したきっかけをくれた一枚なのである。



「ピアノ」をキーワードに、さまざまなアーティストとのコラボが展開される。
このアルバムを聴くと、ぼくはいつも
思いがこころに「ぐおんっ」と落とし込まれていくような気持ちになる。


教科書にも載った名曲「夜空ノムコウ」は、ライブバージョン。
リクオと2台のピアノでプレイ。
ぼくの周りでは賛否両論だが、
これをきっかけにぼくはリクオのCD買ったくらいだから
好きというのは言うまでもなく。

泉谷しげるの「春夏秋冬」も、
思いきりリハモナイズ(原曲とコード進行を変えることね)されている。
矢野顕子のように、原曲をとどめていないほどのリハモではないが
聴いていてまさにこころが揺さぶられるようなアレンジ。
なんか、ツボを突かれたコードてゆーか。
Gときて次はCと見せかけといて A♭→B♭→C、とか
Gときて次はCと見せかけといて E7/G#→Amとか。
個人的にはAm→Gm→C7→Fが好きなんだが。


ところで川村結花の音楽との出会いは、
ぼくが中学生のとき槇原敬之を知った時の気持ちと似ている。
もちろん音楽的にも生き方的にも影響をいっぱいうけたが
それ以前に、初めて聴いた時に
「あ、この人、自分と同じ音楽の方向見てるかも」と
音楽的に共感することの方が大きかった。
つまりは、この人たちと出会う前から
自分もこの人たちと同じようなシュミで音楽やってたということ。
あくまで好きで細々やってるレベルだけど
好きでよく使うコード進行とか
音楽の展開のさせ方のシュミとか
どれもこれも自分のシュミとかぶるのである。

このアルバムは特にそんな気持ちを強く感じてしまうので
何回聴いても飽きない。
寝際に聴いたら
なかなか止められない上に
聴き入ってしまい逆に目覚めるので
音楽だけに集中したい時以外は聴かない一枚なのである。。。
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by satton07 | 2004-09-17 23:59 | ウチのCD棚 | Comments(2)

「1999」 周辺・・・

久しぶりに
大学時代所属していた研究室のサイトをのぞきに行った。

サイトは3年以上更新されていない様子で
なーんだ、と思い
ついでにほかの研究室はどんなんかなーと気になったので
寄り道してみた。

自分がいた頃にはなかった研究室ができていて
へぇ〜、と思って眺めていたら
ゼミメンバーの中にどこかで見ためずらしい名前。

あれ?

この子、自分の教え子やん。


思わぬところから、そのころを思い出す。
今でこそ生物とは縁遠い
社会教育という世界に身をおく、イチ公僕の自分であるが
大学を出てすぐのころ、高校の非常勤講師で生物を教えていた。

その子(子、て失礼か。人。)は、当時高2。
生物はけっこう好きだったようで授業も興味深そうに聞いていた(ように見えた)し
実際テストもよくできてたので、なんとなーくおぼえていた。

その子(だから「人」だってば)が自分と同じ大学に行ったことはどこかで聞いたのだが
まさか同じ専攻に来てるとは思ってもいなかったので
ひょっとして自分の話を聞いてやろか、とか
自分の授業がきっかけになってくれたんやろか??とか
はなはだ勝手な憶測をめぐらせながら
ちょっと調子に乗ってみたりする。
真相は知らないが、現在の状況から考えるに
少なくとも、自分の授業を聞いて
生物が嫌いになったわけではないんだろうなと思い、ホッとした。
でも。ちょこっとうれしい。

自分が大学に受かったとき
自分の恩師も、同じような気持ちだったんかな。
どーなんだろう。


こんな話ついでに、もう少しだけ書こうかなー。


ぼくが教えに行ってたのはまさに自分の出身高校だった。

高校生のころ、とにかくいろんなことでお世話になった先生の影響で
いつからか「出身高校で先生と同じ生物を教えたいなー」と思うようになっていた。

高1の頃は苦手な科目だった「生物」だったが
とりあえずその先生の授業は好きだった。
桂小枝テイストのくだらないギャグ連発なのだが
生徒を引きつけるのが上手な人だった。
授業もわかりやすかった。
クラブの顧問でもあったので
学校の外でも仲良くなって、よく連れ出されたりもした。
今ならえらいことだが
合宿にビール持ち出して「お前らはあと3年ね」と言いつつ
ひとり占めするような人だった。
学校に行くのがちょっと気まづくなった時期があったんだが
そんなときも
自分にもそんなことがあったことを話しながら
「まあ、ぼちぼち行こや」と笑ってくれた。
そのことばは今でもココロの中で消えることはない。


高2になって、進路の選択を考えないといけない時期になった。
その先生を見ながら「教師のしごとも、おもしろいかも」と思うようになった。
はじめは、得意だったし好きだった音楽の教師になろうかなーと思っていた。

けど、音楽のクラブに入って特別音楽活動を公然としていたわけでもなく
習っていたピアノの先生からも「やめといたら??」と受験に消極的なコメントをもらう。
自分自身が「やっぱり無理なんかな〜」と
すごんでただけなんだろうなーと、今となってはそう思う。

ところでそんな状況のなか、当時の音楽の担当は、
「Top of the world」を4拍子、オモテノリで
エンヤコラって感じでリズムをとるような教師だった。
しかもジョン・ベティスのあの名リリックを
「ああなんて世界の頂上にいる気分。」と直訳。
なんてゆーか、そのセンスに
どうしても、ぼくのココロの琴線は響くことはなかった。


ひとのせいにするのは決していいことではない。
けど、自分の今までの経験から、ではあるが
人生の方向性を考える上で
「ひととの出会い」は、
やっぱり大切なことだと、思う。


そんなこともあり、将来のことを例の先生に相談にいったら
「それなら生物の教師めざしたら?」とすすめられたのである。
半分冗談だったのかもしれないが
当時のぼくのココロの琴線にこの言葉がなぜか響いたのである。
そこから、ぼくは高校の生物教員をめざすことになる。

その後、いろんな紆余曲折がありながらも
結局その先生と同じ大学に進むことになるんだが
大学当時、高校教員の採用が壊滅的に少なかった時期で
いつしか「高校の教師は難しいのか・・・」と半ば諦めていた。
採用試験も、教育実習の手応えもそんなに悪くなかったし
いろんな状況を勘案して、小学校で受験したのだ。(が、落ちた)
ところが大学卒業を間際に、当時の恩師から
生物の講師が急遽必要になったという話を聞き
思わぬところで夢が叶っちゃったのである。

生徒ではなく、「先生」という立場でみる母校は
とても不思議な感覚だったが、おもしろかった。

いまほど責任ある立場でもなかったし
いわゆる「生徒指導がムズカシイ学校」でもなかったし
なにより大学をでてすぐで、生徒ともトシが近いこともあり
結構楽しませてもらっていた。

自分が受けていたテストからこうやって成績がつくられていくのねー、とか
先生どうしのビミョーな人間関係が見えてきたり、とか。

いちばん面白かったのは
生徒ウケの悪かった先生は、やっぱり先生ウケも悪かったこと。
逆に、生徒ウケのよかった先生は、
やっぱり仕事のしかたも要領がいい、というかできる、というか
「常識的」な感覚をもったフツウの社会人だったこと。

生徒から受験勉強の相談をうけたり
「え〜、クエン酸回路が・・・」などと授業したり
女生徒が「気色い〜」と叫ぶ中牛の眼球の解剖をしたり・・・。

とにかく、フツウにたのしく高校の講師をしていた。

教育実習にクラブの親友らがやってきたこともあった。
彼がぼくの授業を見に来てくれて
その光景を見て「昔言ってた夢を叶えてるねんなあ・・・」と
えらく胸をアツくしてくれたこともあった。



今こうやってやや遠くなったあの頃のことを考えると
あの頃の夢、というか憧れというか、
それってなんだったんだろうな、とも思う。
講師をした1年間で
「母校で教えたい」という目的は満たされたからか、
それ以後高校の教師になろう、という選択肢はすっぱり消えていた。


「じゃあ、自分は何がやりたいんだろう・・・」と、
立ち止まっていたことを思い出す。



そのときから今でも残っている感覚もあるし
それ以後に新たに生まれてきた感覚もあるし
あの頃は「からっぽ」にしか思えなかったけど
今思えばそれは「からっぽ」ではなくて
まだ開けていない入れ物があっただけのような気もするし。
納得いくように歩くためのステップだったのかもしれない。



もう5年近くも前のできごとなのだなあ・・・。
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by satton07 | 2004-09-17 03:39 | Comments(2)

復活してみました

ここ最近、昔HPをリニューアルする前にやっていたCD紹介を復活してみた。
自分の知られざる部分を駄文にのせてお送りするので
ちょっと恥ずかしかったりもするんだが。

とりあえず昔のストックがあるので当分はネタも大丈夫そうだが
そのうちネタが尽きてくるだろうので
せっせと音楽の幅を拡げてみようと思う。


ところで
今テレビで「たかじんONE MAN」が流れている。
自販機でジュースを3本くらい買ったら
取り出し口にジュースが引っかかって取れない〜っ!てな話。
わかるわかる。
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by satton07 | 2004-09-16 01:11 | Diary | Comments(0)


どもー。


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